スタンドアップ(2005)

violent_jef2006-01-08

■ストーリー
仕事ダメ、恋もダメ。そんな貴女を元気にさせるムービー。
...というのはテレビ宣伝の真っ赤な嘘!
ジョージー・エイムズ(シャーリーズ・セロン)は暴力夫に耐えかねて、子供をつれて離婚。炭鉱しかないような北国で細々とウェイトレスをやっていたが、子供を養えるほどの金が稼げるわけもない。親の家に居候させてもらっているが、炭鉱男の親父は娘に全く理解を示さない。実家の居心地の悪さと生活苦から、ジョージーは炭鉱で男に混じって働くことを決意する。
しかし、炭鉱は男だらけの閉鎖的な社会。おりしも不況の最中、法律のおかげで炭鉱に職を得た女性達に対して、職場を奪われたと感じる男達の恨みは女性に対する強烈ないじめへと発展する...。

 あ〜、これが新春一発目ですよ。重すぎ。
 親、子供、女性の同僚も含め、誰も味方がいない苦境をひたすらジメジメ描きます。ジョージーが孤独になって追い詰められていく過程は、納得できる筋運びで、丁寧だったんですが、その割にひどく一方的な視点が気になります。炭鉱の男性労働者がひたすらに悪者。僕の身近に鉄鋼労働者が多いだけに複雑な思いがしました。
 『クジラ島の少女』は未見ですが、慣習に立ち向かう女性を撮るニキ・カーロ監督とシャーリーズ・セロンの影響が視点を一方的にしてしまったのかなと。シャーリーズ・セロン*1は幼い頃に、アル中の父親のDVに悩まされ、挙句に母親が正当防衛で父親を撃ち殺すという壮絶なトラウマ体験があったんですが、どうしても映画への影響を考えてしまいます。セロン自身も比較されるのは覚悟の上での出演でしょうからセロンによる暴力的な男への怒りの演技は見所かもしれません。
 別に一方的に描くのが悪いとはいいませんが。ならば『エリン・ブロコビッチ』みたいに勧善懲悪の痛快娯楽映画に仕上げてくれたほうが納得できます。シリアスなドラマというのはメッセージ性が強いので、単純な構成にされると受け入れがたいものはありますよ。これじゃあ炭鉱労働者の男がみんな屑みたいだ。
 

 男達のやってることは それはそれはひどいものだし、巨大な組織と慣習に戦いを挑んだジョージーの勇気は素晴らしく、正しい行いなのですが...。地域全体が男達のエゴに支配されてて、老若男女が疑いなく服従している暴力装置を作り上げた男の罪はひどいし、それを自覚させ、打ち壊したジョージーは偉大だとも思うのですが...。それでもそれでも男達の肩を持ちたくなるのは、僕が男だからでしょうか?鉄鋼の街に住んでいたからでしょうか?

*1:バーホーベンの『ショー・ガール』のオーディションにも出ていたらしい。驚き!