クリスティーン

クリスティーン コレクターズ・エディション [DVD]
 皆さんは全米を代表するティーン・アイドル、リンジー・ローハンを知っているだろうか。日本のアイドルみたいにガリガリ痩せておらず、元気いっぱいの健康体で好感が持てるんだが、そんなリンジーの主演作で現在日本で公開されてるのが『ハービー/時計仕掛けのキューピッド』だ。日本ではリンジー知名度はイマイチで宣伝でもリンジーは表に出されていない。ファミリー向けでも「意思を持った車が暴れる」というどうにもパッとしない設定で、一体誰が見に行くんだと不安になってしまうのだ。
 だいたい「意思を持った物」というのは気持ち悪くないだろうか。『美女と野獣』しかり、『ノートルダムの鐘』しかり、物をかわいく擬人化するのはディズニー、決して下手ではない。アメリカでは原作の『ラブ・バッグ』の記憶もあり、わくわくさせるものはあるかもしれないが…(公開は1969年と古すぎですが)。ただ、僕らひねくれもののホラーマニアは『ビデオドローム』の悪夢を忘れられないのだ。ビデオカセットやテレビに内臓感覚と性的イメージを付随させて表現したのは斬新であると共に、理性が取り払われ本能がむき出しになった物体に人間が人間そのものに対して持つ警戒心と嫌悪感をあらわにさせた恐ろしい手法であった。物体を擬人化する場合、概ね高度な理性は取り払われ無垢な存在として描かれてしまう。ここに恐怖を見出すか、かわいさを見出すかは作者の人間に対する善意と悪意の天秤の偏り具合によるのではないだろうか。まぁ、とにかく物に意思を持たせるというと、リアルに考えれば考えるほど気持ちが悪いというものだ。
 で、今回鑑賞してみた『クリスティーン』は、そんな『ハービー』とは真逆に位置し、意思を持った車の恐ろしさを存分に表現して見せた怪作なのだ。冴えないダメ少年アニーがいじめっ子に復讐するという展開はありがちなんだが、復讐するきっかけになるのが、中古車クリスティーンというのがかなり変わっている。監督、ジョン・カーペンターも自伝の中で語っているんだが、本作を撮ったときは『遊星からの物体X』が大失敗して自暴自棄になっており、映画に対する思い入れもたいしてなかったらしい。これが影響していたのかしらないが、主人公アニーに対する思い入れが全くといっていいほど感じられず、クリスティーンの魅力に囚われて自分を失っていくアニーの描写が効果的なものになっている。自分の知らないところで変わっていく人間というのは独特の気持ち悪さがあるが、アニーに対して監督が重ね合わせるものがあれば、もしくは観客が共感できるほど丁寧な描写があればこのような気持ち悪さは生まれなかっただろう。それゆえ、前半の説明不足気味の展開は必ずしも悪くはない。
 物語全体の視点をアニーに持たせないのは僕ら観客を驚かせると共に、アニーとクリスティーの限りなく気持ち悪い関係を際立たせる効果的な方法と見て取れる。通常ならアニー対クリスティーンという関係に終始するタイプの映画だが、アニーの親友デニスという存在が本作をカルトにし得るスパイスとなっている。とてもいい奴で性格描写はアニーより多く、観客の共感を引き寄せる素晴らしい語り部だ。「アニーはクリスティーンの異変を感じたところでクリスティーンとの関係を変えようとはしない。」設定の突飛なファンタジーでありながら(しかもところどころ無理な展開がありながら…)失ってはいけないリアリティーというものを本作は保っていたように思われる。ひどく簡単な言い方をすると、いったん惚れたらあばたもえくぼなのだ。「もともと人の意見を心のそこから受け入れることのないティーンがベタぼれの彼女に取り付かれたら最後、多少のことで離れられるわけがない。殺人はアレだが、それでもクリスティーンの魅力から離れられなくなる過程は段階的に示されている。
 破壊と再生を繰り返すクリスティーンの描写はひどく性的なものを感じるし、カーペンターの意図でもあったようだ。『ビデオドローム』ではビデオカセットの動きは肉体感覚があからさまで、テレビなんか喘いでいたんだが、本作はオールディーズを流し続けるラジオが命を感じさせるギミックになる。このちょっとクールなところにカーペンターらしさが見えるね。ラストはアクションとしては地味ながら下品で力強い映像なので評価の分かれるところかもしれない。僕はちょっと物悲しさを感じて好きだ。
 最後に、この映画はオタク少年の気持ち悪さを描いた映画と観ることもできるかもしれないが、思いついただけで、気の進まない考察はしない。