ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/最終版

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 最終版 [DVD]
モダン・ゾンビはここから始まった!ジョージ・A・ロメロのリビングデッド・サーガ記念すべき第一章です。
■ストーリー
 人気の少ないお墓に不審者が徘徊している。お墓や病院でも不審者は増加しているらしい。彼らは異常な怪力で、頭部を破壊しない限り引き下がることはない…。ある一軒家にたまたま逃げ込んだ人々は限られた情報と物資の中、異常事態を生き抜くことになる…。
 
 あー、なかなか面白いじゃないですか、コレ。いや、もちろんナイトの評価であって、最終版が意外によかったとかいう話じゃないですよ。
 とりあえず、最終版なので、問題の追加シーンをつっこんでおきますね。追加シーンの言及は明らかなネタバレですが、あらかじめ追加された問題シーンを知っておくとショックも少ないし、いらない誤解も減るかと思います。監督のジョージ・A・ロメロに無断で撮影され、無断で追加されたオリジナルの尊重もクソもない問題シーンなので言っちゃいますよー。
 
ゾンビに噛まれた神父が神への信心でゾンビ化を免れます。」←一応伏字…
 
 以下、このシーンがどうして問題があるのか、ナイトをどれだけダメにしてるのかを、ナイトの素晴らしさと平行しながら述べていきます。
 神父がわりとイカレ野郎で、物語に不穏な空気を出すことには成功しているんですが、このシーンにより失われたものはもっともっと大きい!
 まず、信心でもなんでもいいんですが、助かる方法が見つかるのはダメでしょう。人間が知恵を振り絞り、団結力を発揮したり、勇気を見せたりするも、あらゆる行動が裏目に出て破滅へと進んでいくことに絶望感があったのです。もちろん情や愛といった人間の良さみたいなところも無常に否定されていきます。ナイトが特に素晴らしいところは無常観にあったんじゃないでしょうか。救いのなさはシリーズ1だと思いますよ。だからこそ、救いを少しでも見せちゃったら物語台無しじゃないですか。
 悪魔や不信心がゾンビの原因と誤解されそうなセリフもダメですねー。原因も助かる方法もわからないパニック状態がいいんじゃないですか。情報のなさもナイトは優れていたと思いますよ。ウイルスのように繁殖していった続作に比べ、死体置き場から原因不明で続々と死体が蘇る悪夢はナイトの突出している点でしょう。金星の放射能とか、とても本気にとれない俗説が蔓延するのも本作だけです。ただ、観客が悪魔のせいかもという俗説を信じかねない状況を作り出すのはよくない。理由はあくまでわけわかんない。情報が欠けまくってないとパニックの味わいがかけてくるのではありませんか。
 生存者を出してゾンビの力強さが損なわれるのもダメ。ゾンビサーガにおいてゾンビに噛まれて助かった人間なんて1人もいないんです*1。女子供情け容赦なし。子が親を食い、妻は夫を食う。ゾンビに噛まれたから看病しようという情けが泥沼状況を引き起こす。ゾンビに噛まれた。まだ人間だけどいずれゾンビになっちまう。生き残るためには身内の頭蓋をかちわらなきゃならないって状況が「世も末だ」という終末観を煽り、重々しいムードを漂わせるのです。そのためにはゾンビに噛まれたシーンで観客を絶望のズンドコに陥れなくてはならない。だからゾンビに噛まれたら例外なくゾンビにならなきゃだめなのです!
 神父が助かるというのもゾンビという映画ジャンルがもつ背徳性を損なっているでしょう。ゾンビの世界観ではありとあらゆる倫理が否定されています。死者への尊厳の欠如、何の役にも立たない愛。あと、なんといってもゾンビが人を食うカニバルシーンは世界が終わった。法も倫理もヘッタくれもねぇという気分にさせてくれます。だから法と倫理の権化みたいな神父がたすかっちゃダメなんです!
 
 では、ナイトのレビューに移りますか。結構品のある映画でしたね。もちろん比較対象はゾンビ映画ですが。普通の映画に比べて、ずっと背徳的だし、カニバルシーンや暴力シーンに満ちてますよ。1968年公開の古い映画だし、モダンゾンビの先駆けですから当たり前といえば当たり前かな。1968年の映画でも白黒なんだってのは驚くところなのかな?白黒映像独特の品のよさ、予算がないため演出が抑えられてるところがちょっと高尚な雰囲気をキープしていたのかもしれません。続作『ゾンビ』でも下手にハイテンポにせず、社会性を織り交ぜて重くるしい雰囲気をキープしていたところに凡百のゾンビ映画との格の違い、明確な差が現れてきてるのかもしれませんね。特にナイトには美学を感じる徹底した厭世観があり、時代の始まりを予見させるものがあります。
 黒人がそんなに理性的でもなく*2、ヒロインがひたすら役立たず*3なのは意外でしたね。ヒロインがわりと物憂げで、時折見せるクールなまなざしは次作『ゾンビ』のヒロイン、フランシーンを彷彿させます。密室での人間同士の争いは『死霊のえじき』よりも生々しく、息苦しいものがあります。
 とにかくシリーズ1スケールが狭い(一軒家)ので狭苦しさも半端じゃありません。
 そして、どこまでも救いがないので古い映画ながらどんどん人の心を沈ませていくのです。
 予算がない自主制作だけに演出の稚拙さもありますが、それを補ってあまりある完成度。ロメロのゾンビが見たければこれを見ろという感じの快作でしたね。僕は楽しめました。
 
…あー、ビル・ハインツマン(ファースト・ゾンビ)って結構がんばってたのね。結構映画に出ずっぱりで目立ってました。小走りするし、ちょっと賢いよ。映画の撮影ではアシスタント・カメラや写真の手伝いもやったようで。ビル・ハインツマンはファースト・ゾンビであることに誇りを持っているようで、勝手に自主制作のリメイク『フレッシュ・イーター/ゾンビ群団』ってのを作っているようです。
…本作の登場人物の無能っぷりはシリーズ1かも。とにかくパニックに呑まれまくってる。『ゾンビ』のSWATとか、『えじき』や『ランド』の傭兵の強さがありえないのかもしれませんが。冷静な判断ができなくてどつぼにはまるのが一般人の悲しさですね。
…エンディングは何もいいませんが秀逸ですね。これだからロメロはたまらない。
…敢えて順位をつけるならナイトはゾンビに次いで好きですね。独特のゆったりとしたテンポや重々しさがいいです。映画館で観たのが大きいかもしれませんが。

*1:細かく言うと、一時的に助かった人は1人います。『死霊のえじき』の彼ですが、凄惨な空気を作り出すことに成功したいいシーンですね。『ブレインデッド』でパロディーにされましたが、こちらはピーター・ジャクソン、すごく楽しそうでした

*2:ロメロゾンビでは社会的弱者である黒人が常にリーダーであり、最も理性的な判断を下せる賢い存在である。古臭いとかいうな。

*3:身体的弱者である女性と先述の黒人がわりと最後まで生き残るというのがロメロゾンビのパターンです。