極道恐怖大劇場 牛頭 GOZU

極道恐怖大劇場 牛頭 [DVD]
 すいません。今日も酷評注意
 まず、この映画ってホラーの王道をいってるんじゃないかって思ったんですよ。ホラーにも色々ありまして、ひとくくりに出来たり一言で語れるものでもないと思うんですが、この映画を観てロジャー・コーマンのホラーの分析を思い出したんですよ。ホラーって基本的に暗いじゃないですか。コーマンもホラー撮るときは意識的に暗くしたりしてるらしいです。で、重要なのは暗い廊下を走るイメージを頻繁に入れてるらしいんです。コーマンってフロイトに傾倒してて、ホラー映画と性行為を結び付けたんですね。恐怖ってのは無意識のうちに抑圧された不安であり、これを具現化するのがホラーなんだと。で、抑圧された不安が開放する過程が性行為。特に初体験に結び付けられるんだって。相手が怖い、性行為が怖いけど、抑圧しがたい欲求がある。この抑圧しがたい欲求に突き動かされる衝動が暗い廊下を突き進むイメージに、恐怖の対象である性行為が廊下の先にある「何か」にそれぞれ結びつくんだって。*1これを参考にするとなんでホラーでやたら童貞や処女が重要なファクターになってるのかわかるでしょ。僕も目からうろこが落ちました。
 話を元に戻しましょう。なんで本作、牛頭が大して怖くないのにホラーの王道をいっているのかというと、まんま童貞男の恐怖がテーマになってるんですよ。後半なんて露骨です。詳しく書くとネタバレになるけど、前半の旅館の女将の"上"といい、後半の謎の女の"下"といい、基本的に恐怖は女の神秘に詰まってます。ラストの哀川兄さんのシーンなんて、納得するでしょ。三池監督、そんなに女が怖かったのかよ!?て感じ。

 しかし、童貞描写にこだわりすぎたせいかホラーとしてみると、なんとも物足りない映画になってしまったのは残念。タイトルの冠についてる「極道恐怖大劇場」てのは誇大表現ですな。やくざっぽさも恐怖感もたいしたことないす。オープニングの哀川翔兄さんの暴れっぷりは最高だったけど、以降はグダグダ。キレてる映画なのに、ストーリーの破綻がすごい意図的だし、映像も音楽も抑えた感じ。ゴシックホラーにヘビーメタル流したり真っ赤でゴテゴテの画面を作るアルジェント見たらこの映画眠れます。不快を強調する映像感覚もあざとさを感じます。ピーター・ジャクソンサム・ライミやユズナやブットゲライトやトビー・フーパーやサヴィーニが特別キレてたのかはしりませんが、『牛頭』は基本的に雰囲気が落ち着いているせいか不快映像が浮いて見えるんです。日本の映像規制って先進国ではユルいイメージがあったんですが、イタリア、アメリカホラーに比べると大人しすぎ。もっとキレろ。結果的にこれが三池崇史か。中途半端だなぁという印象が残りました。
 
 タイトル最高だけど、期待しすぎないように。特にホラー好きな人が見るときっと物足りないと思います。ホラーというより童貞映画としてみるべき。名古屋の人がすごい排他的に描かれていたので、名古屋嫌いな人はどーぞ。

*1:『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか-ロジャー・コーマン自伝』p.127-128参照