戦国自衛隊1549

酷評注意
■ストーリー

先にタイムスリップした先輩自衛隊対追いかける後輩自衛隊
 
 久しぶりに映画館鑑賞。1200円も払ったのでビシバシいきます。
 予算なかったのか、監督が下手なのか。この映画にロマンを求めていたらちょっと肩透かしを食らうかもしれません。だって、侍強くないし、自衛隊も大して暴れないのよ。前作のヘリを落とし、戦車を沈めた忍者や、武将を一網打尽にするガトリングや戦車のカタルシスは得られません。戦いは城内の攻防戦で終始します。CG技術は発達したはずなんだけど、スケールの縮小により迫力は前作に劣るものになってしまいました。もっと野外戦やってよ、野外戦。
 
 前半のタルさも問題。もともと荒唐無稽なストーリーだし、細かい破綻が多いのに、くどいくらい設定の説明が長い。主人公が戦国時代に向かうまでの理由付けは散々時間を使っておきながら結局よくわからんです。鈴木京香の長い長い説明台詞もテンションを下げる。
 登場人物の性格描写も中途半端。一番顕著なのは主人公なわけですが、自衛隊除隊の理由も強引だし、ロメオ隊(後発自衛隊)に加わる理由もわかんないし、「いつの間にか鈴木京香が「守るべきもの」になって」しまってる強引さもついていけない。さらに鹿賀丈史(先発自衛隊のリーダー)の特殊作戦を突破した主人公の経緯を知ると、自衛隊が主人公をスカウトした理由もわからなくなるというオマケつき。矢で肩を撃たれても高所から落ちて足を痛めても、ピンピンしている本作最強の戦士、鈴木京香鹿賀丈史に思いを寄せる描写も中途半端。鹿賀丈史を撃とうにも撃てない描写があるんですが、うろたえる江口洋介に対して的場浩司(先発隊)が空気を読めない一言「この状況でお前だったら撃てるのか?」。鹿賀丈史を撃てない理由が状況のせいになってしまいました。鈴木京香が個人的な感情と葛藤する迫真の演技が台無し。ここからさらに鈴木京香、何を考えてるのかわからない描写がエスカレートします。「鹿賀丈史に思い寄せていたのに、銃も撃てなかったのに、ラストであっさり銃殺。江口洋介と肩を組む笑顔のシーンにはうろたえました。
 
 他にも「オープニングでいきなり大挙して自衛隊を襲う武将の謎とか、蜂須賀小六は戦争に呼ぶひつようねぇとか、斉藤道三はあまりにも簡単に信長を裏切りすぎとか、オマケに放心状態の鈴木京香は一分以上瞬きしてなくてスゲェ」とか、ツッコミどころは多いんですが、この手の映画は仕方がないんです。荒唐無稽が売りなんだから、細かいところを突っ込むほうが野暮。ええ、重々承知してはいるんです。でも、でも、期待したものがなかったら、細かいところも気に入らなくなるというのも人情じゃありませんか?私はこの映画にロマンを求めていたんです。武士と、自衛隊異種格闘技にも似た興奮を覚えませんか?武士が刀で銃弾や装甲車をたたっ切ったり、キャタピラが武士を踏み潰したり、吹っ飛ばしたりしてくれたら、拍手大喝采ですよ。角川イズムここにあり!みたいな。「角川」、「戦国自衛隊」、この二つの単語を並べただけで、期待とまではいかないまでも「あるべきもの」ってのは設定されるでしょう。これは不可避。原作風に「歴史に修正される自衛隊というダイナミズム」を表現した後半の流れはよかったけど、期待したものはなかったので、えくぼよりあばたが目に付くのです。
 
 秘宝によると、自衛隊から「同胞同士の戦闘シーンは避けろ」という指示があったらしいんですわ。だからロメオ隊(後発自衛隊)を待ち受ける天導軍(先発隊)はみんな自衛隊の服を着ていないというせこいカモフラージュがなされています。本当は自衛隊同士で戦っているのかもしれないけど、ロメオ隊が戦ってるのはみんな鎧を着ているのでいくらでも言い訳がきくわけ。で、舞台は基本的に天導軍が治める天母城。天導軍は銃やガトリングを使ってロメオ隊に応戦するので、軍対軍になってしまったという泣ける演出が。城内戦では申し訳なのか、なぜかみんな刀をふりまわすチャンバラになっていますが、ロメオ隊もなぜか刀で応戦し武士対武士になってしまうという泣ける展開が。違う!これは僕の見たかった戦国自衛隊じゃない!と、肩を落としながら映画館を後にしたのでした。